擁護山 無量院 教浄寺は時宗の東北きっての名刹で知られ、南部家十代右馬頭茂時公の菩提寺です。
山門に勅額が掲げられており、昔は下馬札が立っていた由緒正しい寺院として崇められてきました。
また、南部五山の一つでもあります。
恵心僧都の入念の作といわれる本尊阿弥陀如来(盛岡市指定文化財)があることから『おあみださん』の愛称で親しまれてきました。
毎年1月14日はお年越の祭礼として行われる『おあみださん裸参り』は地域行事として定着しています。
昔、源頼朝が鎌倉由比ガ浜で大酒宴を催した時、大名の座位がまだ定まっていなかったので、 頼朝は小折敷(正方形の四すみを切った曲物)の盆三枚を用意し、これに一、二、三と書き、 その一を自分の前に、二を北条時政の前に、三を河野通信の前に置いた。 それ以後河野家の家紋が折敷に三を用いるようになったと伝えられている。 時宗の開祖一遍上人は伊予国河野通信の孫にあたり、 時宗を開宗以来この紋(すみきり三)を宗紋として現在に至っている。 (橘俊道著「時宗史論考」より)
昔、源頼朝が信州で狩猟を行なった時、陣所附近の鳥飼池に二羽の鶴が舞い下りた。 頼朝はそれをみて「殺さぬように射て獲れ」と命じた。 だが将士の誰も射て獲ろうとする者はなかった。 しかるに南部光行公が首尾よくその翼を射て二羽を生捕りにした。 頼朝は大いにこれを賞し一羽を朝廷に献じ、一羽は陣中の祝膳に供した。 光行公はこれを吉兆として今迄の家紋武田菱を改めて双舞鶴の紋とした。 (「南部旧秘事記」より)